たきざわ×わかもの紹介 松本遼大さん
🔷プロフィール
小学校:滝沢第二小学校
中学校:滝沢第二中学校
高校:花巻東高校
所属:北海道日本ハムファイターズ(2020年育成ドラフト1位)
🔷インタビュー
滝沢市役所と千葉県の鎌ケ谷スタジアムでお話をお聞きしました。市役所では子どもの頃からの友人である髙橋慶太さんも同席。髙橋さんは昨年、市の学生アルバイトとして企業振興課で働いてくれたご縁もあります。
ーーお二人は子どもの頃からのお知り合いとのことですが。
はい。保育園の時からです。川前保育園でした。小学校は滝沢東小学校と滝沢第二小学校でばらばらでしたが、野球のスポーツ少年団にお互い入っていたのでよく試合で会っていました。中学校ではクラスは違いましたが3年間軟式野球部でいっしょに活動をしていました。
ーー野球を始めたきっかけは。
父親が野球をやっていたことがきっかけです。父は今でも社会人チームの監督をしていますし、その影響もあり姉2人もソフトボールをやっていました。
ーーどのような小学生・中学生でしたか。
野球ばかりやっていたのでテストの点はあまりよくなかったです。中学2年生の時に転機になった試合があり、それが盛岡市立北陵中学校との試合でした。北陵中学校は三連覇する程強い学校でしたが、自分自身、人生で一番良いピッチングをすることができ、接戦の末、結局1対0で負けてしまいましたが、その試合から地区選抜や県選抜に選ばれたり、全国大会も2回程出場することができました。
そしてその後ご縁があり花巻東高校から声をかけていただいて今に至ります。
ーー滝沢市のいちおしを教えてください。
思い浮かんだのは実家から見る綺麗な岩手山です。ここ数年、冬にしか帰られていないですが、夏の岩手山がやはり一番綺麗ですね。
ーーいつからプロ野球選手を目指しましたか。
花巻東高校に入ってからプロを目指しなさいと言われ続け、それがモチベーションになりました。高校の野球部では小中学校の時より強く、気持ちや技術、意識などたくさんのことを学んで得ることができたと思います。花巻東高校に行っていなければプロになっていなかったと思います。花巻東高校の佐々木監督からは、部活を引退した今でもご連絡をいただきます。同級生が38人おり、監督をして20年以上になるので教え子は毎年増えているのですが、今も変わらず気にかけていただいています。
ーー卒業後プロになっても連絡をくれて気にかけてくれるのは嬉しいですね。監督の言葉で何か印象に残っているものはありますか。
入学時は体重70キロほどでずっと細かったので、とにかく3年間太るように言われていました。秋の大会で投げた時に139キロしか出せなかったのですが、その冬で14キロ増量しました。朝5時に起きて食堂で食べて運動をして食べての繰り返し。そして春に投げた時には、145、6キロを出すことができました。
本を出せるくらい良い太り方を見つけました。
ーー花巻東高校で17番の背番号を背負った時の気持ちは覚えていますか。
入学前から把握していましたが、いただけた時は嬉しかったですし、周りからは「17番なんだね」と言われ背負った感じがありました。期待はずれなことはできないと気合が入った記憶があります。
――プロになって印象に残っている試合はありますか。
自分のピッチングではなく、とても良いきっかけになった試合がプロ1、2年目にありました。その試合は5,6点差でチームがリードしていましたが、自分がマウンドに登った後2本ほどホームランを打たれてしまい、一気に逆転され唖然としました。その時は打たれたことよりも自分に負けがつくことが嫌で落ち込んでしまいました。
そのような中、その次の回で同期入団の今川優馬さんのホームランで同点となり、自分の負けが消えました。
ベンチで落ち込んで声も出していなかったのですが、その時今川さんに「落ち込むのは試合が終わってから。試合中は声を出して、切り替わったら次のピッチャーを応援したりしなければダメだよ」と言われ、それから打たれた時の切り替えや試合終わりに反省をする等を意識するようになりました。
ーー高校時代もそういう心がけや意識は気にかけてこられたと思いますが、プロになってまた違ったものでしたか。
よりファンが近くに見えたり球場の雰囲気もありますから違いますね。逆転されて落ち込んでしまいましたが、今川さんが結果で示して説得力のある言葉をその場でかけてくれて響きました。すごく嬉しくてきっかけになった試合です。年が離れていますが同期の仲が良いんです。
ーー野球をしていて楽しかったことや辛かったことはなんですか。
辛かったこととしては、育成で入団をした後輩達が先に試合出場がかない、1軍で投げている姿を目の当たりにした時に悔しく思いました。投げているボールや試合は結構自信がありましたが、そこに怪我が入ってきてしまい失敗をしていました。 自分の問題ですが、怪我で悩まされた4年間で最初は悔しかったですが、切り替えて今は負けないという気持ちで頑張ろうという思いです。
ーーこれからの目標を教えてください。
1軍に上がって30試合に出ることです。岩手に帰るたびに色々な人から1軍の本拠地であるエスコンフィールドに連れてってくださいと言われ、期待されていることを認識します。北海道日本ハムファイターズに育成で指名をいただいた時にちょうどエスコンフィールドの整備が進められていた時だったと思いますが、その時にそこで投げることを目標の1つにしていました。
ーー1軍ホームの北海道で投げる姿を楽しみにしています!最後に若者に向けて一言お願いします。
はい。2つ意識してることがあり、1つはとにかく楽しむことです。自分の野球の場合、好きでやっている好きで始めたことなので、常に初心を思い出して、苦しくても一軍で投げている想像や楽しめたこと等を思い出すこと。そうすることで頑張れるのでそこは意識をしています。
もう1つは育成で入団をした時にわかりやすく「下剋上」という言葉を掲げていて、下から這い上がる言葉は常に持っています。それは小学生も小さい子ども多分同じだと思いますが、スポーツ少年団の中では1番でも別の環境ではさらに上の人もいると思いますので、上を目指してほしいです。常に上を見て頑張ってほしいと思います。
ーーありがとうございました。
育成5年目を迎える松本選手。鎌ヶ谷球場と屋内練習場は選手寮と隣接していて、オフシーズンの取材訪問でしたが、球場に見に来られる方たちの姿も数名見られました。
2月からの春季キャンプを経て次シーズンへのはずみをつけてエスコンフィールドで投げる姿を楽しみにしています。
🔷情報発信
・公式HP
・松本選手のインスタグラム